会費・カンパ 等 振込先 〒振替 00260-0-87731 「天海訴訟を支援する会」 通信欄に「会費」「カンパ」等一言 〒262-0032 千葉市花見川区幕張町5-417-222 幕張グリーンハイツ109 障千連内 TEL・FAX 043-308-6621 http://amagai65.iinaa.net/ amagaisoshou@gmail.com 1 事件の概要とこれまでの経緯 平成26年、障害をもった状態で65歳を迎えた天海さん(千葉市在住。住民税非課税世帯であったため、利用者負担なしで月70時間の障害者総合支援法による居宅介護サービスを利用していました。)は、介護保険への移行を拒み、総合支援法による居宅介護70時間の支給申請を行いました。 天海さんには、「障害の状態に変化がないのに、65歳になったという理由で、制度の目的が異なり、また、月1万5000円の利用者負担のある介護保険に移行させられるのはおかしい。」という思いがありました。これに対し、千葉市は、「自立支援給付は、当該障害の状態につき、介護給付のうち自立支援給付に相当するものを受けられるときは、受けることができる介護給付の限度において、行わない。」旨を定める総合支援法7条を基礎に、「天海さんが要介護認定の申請をしないため、必要な障害福祉サービスの支給量を算定することができない。」として天海さんの申請を却下しました(本件処分)。天海さんは、本件処分の効力を争い、訴訟を提起しました(天海訴訟)。 控訴審(東京高裁)は、「住民税非課税世帯に属する天海さんが介護保険サービスに係る利用者負担を余儀なくされることは境界層該当世帯に属する障害者との比較において不均衡であるとし、支援措置事業を実施する千葉市がこのような不均衡を避ける措置をとることなく本件処分をしたことには裁量権の行使を誤った違法がある。」として、天海さん勝訴の判決を出しました。 千葉市は上告受理申立てを行い、最高裁は、令和7年7月17日、以 下の判決を言い渡しました。 2 最高裁判決の要点 最高裁は、「原審の判断は是認することができない。」として、その理由を以下のように述べました。 (1)本件の判断基準 最高裁は、 ①自立支援給付の支給の要否を含む支給量に関する判断は市町村の合理的裁量に委ねられていること、 ②総合支援法7条の規定は、要介護認定申請や要介護認定がされたか否かにかかわらず、介護給付のうち自立支援給付に相当するものを受けることができる場合には、その限度において介護給付が優先され、自立支援給付が行われないこと(介護保険優先の原則)を明らかにしたものと解されることを前提に、本件処分の適否について、「受けることができる介護給付のうち自立支援給付に相当するものの量を算定することができないことを理由としてされた本件処分については、その量を算定する必要があるとした上告人(千葉市)の判断や、その量を算定することができないとした上告人の判断が、事実の基礎を欠くなどにより、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となる。」という判断基準を示しました。 (2)あてはめ ア 居宅介護(障害福祉サービス)と訪問介護(介護保険サービス)は、サービスの内容や機能において、おおむね重なり合う。65歳を迎えた天海さんからの自立支援給付申請について、支給量を定めるに当たり、千葉市が、「受けることができる介護給付のうち自立支援給付に相当するものを算定する必要がある」と判断したことは、著しく妥当性を欠くものとは認められない。 イ 要介護認定申請を経ることなくなされた本件処分について、受けることができる介護給付のうち自立支援給付に相当するものの量を算定することができないとした千葉市の判断の当否については、諸般の事情を踏まえた上で、要介護状態区分の認定を経ることなくその量を算定することができるというべき事情があるか否かを考慮する必要がある。(3)原審判決の否定 前述の総合支援法7条のルールや、訪問介護を受けた場合の利用者負担の発生は、支援措置事業の実施の有無により左右されない。 なお、介護保険サービスに係る利用者負担についての補助の必要性は、所得金額のみならず、所得に算入されない収入や資産の状況など諸般の事情によって左右されること等に照らせば、支援措置事業の実施によって、住民税非課税世帯に属する障害者と境界層該当世帯に属する障害者との間に、直ちに不均衡が生ずるということはできない。 したがって、千葉市が原審のいう不均衡を避ける措置をとらなかったことを理由として、本件処分に違法があるということはできない。 (4)結論 原審の判断には上記(2)イについて審理を尽くさなかった違法がある。 原判決中上告人敗訴部分を破棄し、同部分につき本件を原審に差し戻す。 3 最高裁判決を受けて 最高裁判決は、総合支援法7条について、「要介護認定申請や要介護認定がされたか否か関わらず」介護保険が優先されることを定めたものだと判示しました。 最高裁は、障害者の65歳問題の不合理性(障害の状態に何ら変わりがないのに介護保険サービスに移行させられる。)や、介護保険に移行させられる利用者の不都合・不利益(例えば、制度目的の相違に由来するサービス内容の相違、事業者の変更、訪問介護の利用者負担など)について、何ら配慮ないし考慮を払わなかったようにみえます。総合支援法7条の解釈とは別の視点からではありますが、利用者の不都合・不利益に配慮した判断を示した原審判決は、取り消されてしまいました。 また、最高裁判決は、判断過程によほどの間違いがない限り市町村の裁量権を尊重する判断基準を採用しました。障害をもつ人の人権に配慮して、行政の裁量権を制約することは考慮されていません。行政機関が、結果として、勧奨に応じなかった障害者を、支援を要する状態であることが明白であるにもかかわらず、何の支援も受けられない状態に放り出してよいのでしょうか。 さらに、最高裁は、障害をもつ人の実情・生活実態(例えば、収入獲得・資産形成の機会に恵まれずに65歳を迎え、基礎年金額 1 級の 97 万/年の年金収入でやりくりしている。そこに新たに月1万5000円の利用者負担を課される。訪問介護により居宅介護と同じサービスを受けられればよいが、現実は必ずしもそうなっていない。など)に目を向けて考える姿勢が希薄です。 これらの点で、今回の最高裁判決は、残念なものであり、「障害者の65歳問題」は温存されてしまいました。 しかし、まだこの裁判は終わっていません。 我々は、引き続き天海訴訟の勝訴獲得に向けて奮闘するとともに、「65歳の解消」に向けて、障害をもつ人が安心して65歳を迎えられるように、そして、年齢を問わず、障害をもつ人の人権が保障されるように取り組んでまいります。 天海訴訟を支援する会代表 八田英之 天海訴訟は延長戦になりました。東京高等裁判所で引き続き闘っていくことになります。最高裁は介護保険優先原則を認めてしまった、この問題が非常に大きな問題として、これから東京高裁で、私たちは改めてこのことを追求していかなければならないと思います。 千葉市がやったような介護保険に移った場合の給付の量が算定できないから、事実支援給付、障害の給付も全部打ち切ってしまうやり方が許されるのかということについては、自立支援給付に相当するものの量を算定できないとした上告人の判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くかどうか判断をしなさいというように東京高裁に指示しているわけです。そういう点では全面敗訴ということになったわけではありません。東京高裁で、私たちはこの点を引き続き追及していきます。 さらに重要なことは、生存権裁判、生活保護の一方的な引き下げは許されないという裁判が出ました。それに照らしてみた時に障害者が65歳になった時に、一方的にそれまで0円であったものから、15000円の負担をかけられるというのは、この生活保護裁判の基準や考え方から照らしてみてもおかしいのではないかということを含めて、改めて障害者の権利としての人権として、国際的に通用するような保障を追求していきたいと思っております。引き続き延長戦で勝っていくという決意を込めて頑張っていきたいと思います。 我々は、引き続き天海訴訟の勝訴獲得に向けて奮闘する人権の原理原則「選択の自由」がないところに「自己決定」はない (金沢大名誉教授) 井上英夫氏 最高裁は「人権の砦」 この判決は、最高裁責任回避判決です。自らが判断しないで差し戻したのです。本当に些末な技術論ですね。問題の根本を問うことなしに、技術的なところからはじめています。こういう判決を出すのが最高裁の役割なのかということです。最高裁は「人権の砦」ということを言われていて、今日の裁判官の中にも人権派の人がいるのです。人権が大事です。しかも行政に対してあるいは立法府に対して独立を守る司法の独立、これを考えている裁判官もいるのです。その裁判官たちが人権保障の視点から、憲法の視点からこの問題も考えていかなければいけないのです。しかし、介護保険優先ってことについては、これ自体色々議論があって、歴史的にも問題が明らかになっています。そういうことについても理解を示そうとしてない。最高裁の責任を問うということについて、皆さん声を大きく上げていた だきたいということです。 人権保障の視点で最も根本的な原理原則本人が選択し、本人が自己決定 私は天海訴訟に意見書を書いています。人権の視点で言えば、サービスを受けるということも、本人が選択し、本人が自己決定すべきです。これが人権保障の視点で最も根本的な原理原則だという意見書を書いています。そのこと自体が議論もされてない。最高裁判所の中に、そういう人権の原理原則を叩き込まなければいけないのです。 本人の生活実態を見るということから出発することが行政 次の闘いは高裁ですが、高裁に対しても、それをしていくというのがまず根本にあるべきです。それから法律の解釈論です。天海さんが介護保険の認定を申請しなかったからから、介護サービス量が分からないとい 報告集会報告 うわけでしょう。天海さんを見れば、どんなサービスが必要かということは分かるのではないですか。介護保険や自立支援給付に関係なく、本人の生活実態を見るということから出発することが行政であり、裁判所の最高裁の仕事でしょう。これを見ようとしていないということについては、もっと皆さん怒りを持って声を上げていただきたい。これからまた闘うわけですが、天海さんという人が、なんで命をかけて闘わなければいけないのですか。そうしなくてすむようにするのが行政であり、裁判所じゃないですか、それを皆さんとともに声を大きく 上げたいですね。 「権利は闘うものの手にある」 もう一つ「天海が申請しなかったのが悪いのだ」という話ですが、こういうことで10年も裁判で闘わなければならないということ自体がおかしいんですが、他方で「権利は闘うものの手にある」という朝日滋さんの言葉です。私は、生存権裁判、今の「いのちの砦裁判」をずっとやってきて、生存権裁判の時は1勝37敗だったのです。今の「いのちの砦裁判」でも負け続けていた、でもその時に原告の皆さんが本当にすごいと思ったのは、負けた時に一番負けても元気だったのが原告団でした。「勝つまでやるのだ」とおっしゃって、「死ぬまで闘う」と言われた。死ぬまで闘わなければならないような状態がそもそもおかしいということです。闘わなくても頑張らなくても、人間らしい尊厳を持った生活が保障されるというのが、この人権を保障するこの国です。それを基本的に問うということがやっぱり大事です。皆さんそれが大きな力になって判決にもやっぱり反映しているわけです。その上で最高裁の判決が出ましたね。私は半世紀社会保障裁判にかかってきましたが、初めて最高裁の法廷で勝訴判決を聞きました。負けても負けても皆さん続けてきたから、最高裁の勝訴判決が獲得できたわけですよね。これから非常に大変でしょうが、やはり皆さんぜひ闘っていただきたい。高裁でも勝つということを皆さんと一緒にしていくことが大事かなと思います。無理しないで頑張るぐらいでも、当たり前の生活が保障される、そういう国にしましょう。 日本国憲法と障害者権利条約と法律の関係障害者権利条約、今の国連の条約は「障害のある人」の権利条約です。「障害のある人の権利条約」の中身は、まさに全ての障害のある人に人権を保障するということです。障害のある人が持っている固有のニーズ、何が必要か、ここで言えば天海さんは、色々なサービスが必要であるというそのサービスを目指すことが大事です。それは人権の保障です。条約の狙いはそういうここにあるわけです。人権について「自己決定」というのは一つの大きな原理原則があります。この前に「選択の自由」があります。選択はできないところには自己決定できない。条約が言っているのは「自己決定」を可能にして、「それぞれの障害のある人の必要なものを保障しましょう、権利として」というのは、条約の本当の考え方だし、構成になっているのです。大事なのはそれぞれの人が持っている固有のニーズを満たす。そのための選択肢を保障する。そして、それぞれの人が、自分で選んでいく、今の介護保険の存在を認めるとしても、介護保険とその障害福祉、どちらを選ぶかというのは、天海さんが選ぶべきだった。その選択を保障する、天海さんの「自己決定」を保障することこそ、条約の基本的な考え方です。憲法は、日本で一番最上位の法律規範です。その次に条約があるわけです。 そして法律がその下にある。憲法の人権保障を豊かにしていくために、条約を批准という行為をし、「守りますよ」と約束をするわけです。そして、その条約と憲法の中身を具体化していく。これが政府や行政の最高裁の役割です。そういう基本的な考え方を踏まえて、高裁にぶつけていくということを粘り強くしていくというのは大事ではないでしょうか。改めて、憲法と国際条約に立ち返っていただいて、その立場から見て、その介護保険法、介護保険優先、そして天海さんの権利を否定することが正しいかどうかっていうことを皆さんが判断して確信を持って、高裁に迫っていただくというのも大事なのではないでしょうか。改めてこの天海さんのこの運動を新たな出発点として、皆さんに是非その基本にも立 ち替えていただきたいなと思います。 憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」の意味 障害のある人の権利条約の中に相当な生活を保障すると、日本政府は公約しました。相当な生活とは、十分な生活するイメージがあります。日本の憲法は「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」、皆さんも最低限度だと思っているでしょうが、国際的に言えば、「十分な生活を保障しなさい」と言っているのです。障害のある人の権利条約 でもそうです。 「自助、共助、公助」論は戦前からの考え方 「自助共助公助論」が根底にあって、保険優先とか保険主義というものも、今は自助共助公助論です。これは、非常に広まっているでしょう。まず自分のことは自分で家族でやり、地域であれが「共助」でしょう。公助は「公が助ける」ですよ。支援する、「寄り添う」でいいのだと言うのです。本来の社会保障だったら「保障」でしょう。「助ける」でいいのではなく、「保障」しなければいけない。しかもそれは「十分な生活」の保障だということです。「自助、共助、公助」論は戦前からの考え方です。2012 年に社会保障制の改革推進法っていうのができました。そこで「自助、共助、公助」を社会保障の基本とするというふうに言っているのです。だから公助を「助けるだけ、応援するだけでいい。」としてしまったのです。「国民の権利」ではないのです。私は「立法改憲」と言っていますが、法律で憲法が変えられているのです。「障害者の生活を福祉サービスで保障しろ」というのが大切です。この一本の筋を通おそうではありませんか。日本の国を変えようではないですか。是非ここで皆さん確信を持っていただきたいというふうに言わしていただきます。頑張りましょう。 (明治学院大学名誉教授) 河合克義氏 「社会保険優先主義」が問われている 今日の最高裁の判決の中でも、先ほどから説明あるように、「介護保険優先主義、社会保険優先主義」というのがはっきりと、高等裁判所でも今日の判決にでも出たわけです。 地方自治体とか政府見て、最近の社会保障、社会福祉政策というのは、明確に「介護保険優先主義」ということを言っているのです。障害者総合支援法と介護保険法との関係でも、やっぱり「社会保険優先主義」というのが問われています。具体的に、天海訴訟で明記されていることは、生活をどう支えるかという視点からすると、介護保険の方に移行して、介護保険の枠でサービスが提供されて生活が成り立つかというと、そうではない。厚生労働省も介護保険のサービスだけでは、例えば重度障害者の生活になりたたないということで、障害福祉サービスと介護保険サービスの両方認めているわけですが、地方自治体の福祉の担当者は、この介護保険、社会保険優先主義ということが、かなり浸透してきていうことです。具体的に生活を支えるサービスをどう組むかということでいうと、介護保険の限られたサービスの範囲のところでしか見ない。今回の最高裁裁判で高裁に戻されましたけど、もう一度、この「社会保険主義、介護保険優先原理」ということに対して、具体的に生活をどう支えるのかという、そういうサービスをどう組み立て直すかということを、ぜひ運動の中で、作っていく必要があるの ではないかと思います。 公務員による総合的なサービスを 改めて、行政の枠内にホームヘルプサービスを、理想を言えば、公務員による総合的なサービスを担う人を置いていくということが必要ではないかと思います。今の介護保険の枠だと、株式会社も含めて限られたサービスのところで提供しているだけですが、そうではなくて、総合的に判断する、あるいは例えば庭の掃除をするとか、ベランダの掃除をする、そういうことも含めて、見ていく必要があります。それから、他のサービスとつなぐこと、これは民間の事業者では、総合的に提供できないのです。そういう権限を持ってないわけで、水道の問題とか、生活に関わることで、いろいろあるわけです。保健所の問題とか、そういうものを総合的に判断して、専門家がサービスを作り出す、提供するということ、これは民間事業者ではできないわけで、改めて行政の中に、生活を総合的に支える専門家をどう再配置するかということを考えなければいけないのではないか、西ヨーロッパ見ますと、公的の責任で、そこをきっちりカバーしているのです。日本だけが、この介護保険ができて25年間、どんどん福祉サービス、生活保障のサービスが後退していって、天海訴訟というのは、まさにそういう問題を提起しているのではないでしょうか。高裁に戻されましたが、我々で、もう一度そのような運動を起こして、東京高裁を囲むということが必要ではないかというふ うに思います。 「自助、互助、共助、公助」論は 「政府に頼らない」人間を作るということ「自助、互助、共助、公助」論は、国としては、「国民が政府に頼らない」、そういう人間を作るということです。結果どうなっているかというと、本当に困っている人が、行政に結びつかないで、亡くなっていく人が、日本の場合非常に多いのです。貧困と孤立問題ということでは、日本は、西ヨーロッパから見ると異常な事態です。亡くなって何日も発見されないとか、孤独死とか、本当に異常な事態です。政策的には、政府にとっては財政を抑えることです。 だから、「頼らないでぎりぎりのところまで、自前で生きていく」という考えを、みんなに持ってもらうということです。悲惨な状態になっててる のではないかと思います。そういうことも含めて、きちんと提案していかなかなければいけないかと思います。 「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム 古賀氏 天海さんが福祉サービスを止められた 1ヶ月間、どんな思いで生活したのか千葉市が住民税非課税の人から15,000円取り立てることは、障害者権利条約に全く反することだと思います。それとともに、私が最高裁のあの判決を聞いて、最高裁として東京高裁に戻す内容として、天海さんの体の状態とか、天海さんの置かれた環境を考慮せず、簡単に打ち切ってしまったのはひどい話です。それが社会通念上どうだったのかっていうことを、しっかりともう1回、高裁で考えてくれるようにお願いしたい。その責任逃れは許されません。天海さんが福祉サービスを止められた 1ヶ月間、どんな思いでどんな生活したのかっていうのを改めて突きつけていくべきです。この「介護保険優先原則」と闘う時に、何が怖いかというと、打ち切られてしまうことが怖いから、闘い切れなかったりもするわけで、この恐怖心を本当にみんな持ってるんです。打ち切ることの不当性を、障害者団体は、この天海さんの東京高裁の闘いに集まって、東京高裁がいい加減なこと言ったら許さないぞという、そういう闘い方をしていかなければいけないなというふうに思いました。全部打ち切ってしまったら、天海さんの本当に社会生活的なものも打ち切られてしまうわけで、「社会参加」のこととか、介護保険と障害者の制度の根本的な違いはあるわけです。天海さんの生活がどんな状態になってしまったのかということをてこに、そんな解釈を自治体に起こさせてしまう、この法律のあり方がおかしいのだということを、訴えていけないかなと思うんです。そのことが、逆に高齢者の介助保障をもよくしていくという観点だと思います。そのような闘い方として、やっていけたらいいのではないかと思いました。 障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会 家平氏最高裁でも今回負けなかった 天海訴訟10年の闘いがあったから 最高裁の判断の中で、介護保険優先原則を固定化するような問題だったりとか、介護保険を申請しない人でも、介護保険を使えるようにしようとか、そういうことは本当に許せないし、不当だというふうに思いますので、まず最高裁抗議もしたいなというふうに思っています。また、最高裁でも今回負けなかったっていうのが大きな意味があるのではないかと思います。それは天海さんが頑張って、障害福祉を使い続けたいという決意をこめた、10年の闘いがそ うさせなかったということだと思います。 2015年11月27日天海さん千葉市を相手に提訴を行うことを強 く決意 「無理やり行政が移行させるな」 浅田訴訟の判決の中でも、総合支援法七条は基本的にあるとしても、いろんな事情によって、浅田訴訟では、「選択することができるのだ」という判決だったと思います。自治体は、無理やりに介護保険に移行するということができないということで、65歳過ぎでも、障害福祉サービスを使ってる人は少なからずいるという状況になっています。天海さんの場合、「強制的に変更すること」は違うのだということを十分に思いますので、今日は負けなかったということを私たち運動と確信しながら、法7条があったとしても、障害者のおかれている環境をしっかり踏まえ、「無理やり行政が移行させるな」ということは厚労省の通知でも言っているわけですから、無理やり移行させるということは絶対させないということで、高裁での闘いをしていきたいということを、私も改めて今日決意して、皆さんとともに頑張っていきたいと思います。天海さんには、体に気をつけて長生きしてもらって、最後の勝利を勝ち取るために皆さんとともに頑張りたいと思います。 +